マット(ケイシー・アフレック)とニコル(ダコタ・ジョンソン)夫妻。
2人の娘と、4人家族で歩んできたけれど、ニコルがガンの宣告を受けます。
家のことがおろそかになり、ちょっとめちゃくちゃになっているところ、
2人の昔からの親友、デイン(ジェイソン・シーゲル)がやってきてくれて、
身の回りのこととかをしてくれて・・・。
エッセイを元に映画化された、作品。
昨年の日本での映画公開時に日記を書いていました。
結局映画館へ行くことはできませんで、やっと観たんですが。
マットやニコルには、デイン以外にも近くに親友がいて。
でも、ニコルの病状が悪化していくと、1人、また1人と、ニコルの元を離れていってしまいます。
悪化していく姿を見るのが、辛くて。
でも、一番辛いのは本人だし・・・。そういう思いの葛藤ってあると思う。
どう接していいかわからないというのが一番で離れてしまうのかなぁ〜と。
でも、離れていかれた方からすると、すっごく寂しいんだと思う。
寂しさ通り越して怒りも感じるんだなぁ〜と。
デインは違いました。
ニコルの病気が進行していって、そばで見ているのも辛いという状況になっても、
そばに居続けて、マットや子供達を、ニコルを支え続けてくれました。
デインはそうしたいと思った理由。きっと、”あの時”のことも、大きくあるんだろうと思うけれど、
なかなかできないことだと思う。
家での闘病を、一生懸命支えてくれたデイン。
マットや娘たちにとって、彼の存在がどんなにか救いだったか。と思います。
アメリカの医療制度などのせいとかあるのか、わかりませんし、
映画の進み方の関係上見落としている部分があるかもしれませんが、
「天使な看護師」さんに、もうちょっと早く電話していたらよかったんでは?と思ったりしました。
と、同時にニコルが病気の進行とともに、心も不調になってしまったところは、
自分が最近した体験を振り返って、涙が出ました。
本人じゃないと、本当の辛さはわからない。というのは、こういうところかもしれない。
色々な恐怖と戦ったり、残されていく家族を思ったり。
以前、あるジャーナリストの方(日本の)が病気で亡くなって。
奥様が書かれた本を読んだ。
生前、テレビか何かで、「闘病は孤独」って本人が言っていた時に、
奥様がショックを受けた・・・っていうような話だったと思うんですが。
私もそれを読んだ時は、
「そうだよ。孤独なんてひどいよ」って思ったんです。
でも今は少しわかる気がします。
ちなみに、この映画は、ニコルの闘病に重きが置かれているというよりは、
そばにいてくれたデインのことの方に重きが置かれていると思うので、
ニコルの孤独が・・・とか、そういうのを深く考える映画ではありません。
今の私には、ちょっと観るのが早すぎたのかもしれませんで、
だから、涙でたポイントはちょっとズレているかも。